おたくとは
※僕はおたく専門家でもなければ犯罪研究家でもない。百パーの主観的感想文である。
〇おたくを定義しよう
(あくまで個人的な話である)
ある事に過度に熱中し、詳しい知識をもっていること。また、そのような人。(デジタル大辞泉)
ある趣味などに凝っていて、他の物事に無関心な若者を言う俗語。相手に対して「おたく」と呼びかけるところからという。(精選版 日本国語大辞典)
なるほど、である。原義的なところにも触れている。しかし、言葉の意味が膨れ上がった今も、正確に表せているとは言えないだろう。
wikipedia先生は、おたくと、マニアや専門家と言われる者たちとの違いを論じている。もちろんと”これ”といったものはなく、様々な文献からの引用が載せられている。
例えば、その趣味が一般人にとって理解可能であるかどうか。性的嗜好を伴っているかどうか。等々。
前者は曖昧であり、例えば僕が幼い頃異常な関心を寄せていたゴキブリはどうなのであろうか。昆虫好きに含まれるのであろうか。しかし、ゴキブリ好きであることを理解されるのであろうか。
後者はそういったゲームや漫画本を集めている時点で否定のしようがない。ただし、彼は例えば鉄道オタクと呼ばれる人々をおたくから除外して考えている。僕は彼らもおたくだと思う。もちろん、言葉の絶対的な定義はないので否定するつもりはない。代わりに、僕がどう思っているかを書いていこう。
「おたくとは、気持ち悪いほど貪欲な独占欲である」と。
キレイなおたくのように見えるものはおたくではない。昨今の美化的オタクブームは、ある意味では必死に市民権を得ようとしてきた諸先輩方の功績であるに違いない。しかし、先に掲げた定義、すなわち「本質」を見失ってはいないだろうか。
例えば、有名人が結婚したことを聞き、「幸せならOKです」と答えた人がいる。それを挙げて「おたくの鑑である」と反応する者の多さよ。僕は疑問を呈したい。
まず彼が素晴らしい人間であることは当然である。彼の意見を否定できる者はない。だが同時に、彼はおたくとしての要件を満たしていない。もし僕が彼の立場だとしたら、こう答える。「祝いたい気持ちはあるしそうすべきだとも分かっている。しかし同時に、悔しい、何で俺じゃないんだという感情を否定できない」
即ち言いたいのは、既におたくであるならば、世間的に良い人間にはなれないのだということだ。
〇犯罪者についての補足
では仮にその感情をおたくと呼ぶならば、欲望のままに行動を実行した者はどうなるのか?立派な実例が存在する。インターネットにしっかり情報があるので書く必要もない。いずれにせよ、いわゆる社会規範を破る行動に移すか移さないかは、おたくかおたくでないかとは一切関連がない。
ただ、前例を用いて敢えて説明するならば、犯行の動機がおたく的趣味であった可能性はある。しかし動機というのは何だってあり得る。食欲から無銭飲食、色恋沙汰から傷害…。いずれも動機と呼ばれるものだが、そこから犯罪につながるかは別として、誰しもが遭遇してもおかしくない。おたくも同じである。
そしてあるとき引鉄を引ける人は、動機に関わらず引けると僕は思っている(専門的データを見ていない主観に過ぎない)。某罪人も、もし以前に別の動機があればそっちで捕まっていたかもしれないということだ。
〇まとめ(てもいない)
つまり気持ち悪さとは、否定でも肯定でもない。絶対的な定義なのだから、受け容れざるを得ないのである。もしその気持ち悪さを悪だという人がいても、「ごめんね」と答えるしかない。
ここまでグダグダと語ってしまったが、結論はでっかく書いたやつで終わっている。蛇足はもうよそう。
バトルファクトリー・オープンレベル(3周目)
ポケットモンスターエメラルド。バトルファクトリー。
いきなりの三周目。謎の実況を開始しよう。
はじめの六匹
・ハリテヤマ@先制のツメ(クロスチョップ/地震/岩雪崩/空元気)
・ガルーラ@カムラの実(起死回生/堪える/10万ボルト/地震)
・ブラッキー@光の粉(威張る/自己暗示/メロメロ/シャドボ)
・キノガッサ@食べ残し(アイアンテール/気合パンチ/メロメロ/茸の胞子)
・ハピナス@気合の鉢巻(大文字/吹雪/瞑想/卵産み)
・ウインディ@白いハーブ(オーバーヒート/神速/嚙み砕く/燕返し)
第一戦の相手が水タイプ二匹以上ということで、特殊に強いブラッキー、遅いポケモンを総なめにできるキノガッサ、今後のことも考えて万能的に強そうなウインディに決める。でも残る三匹もやれそう。
第一戦
・ランターン@光の粉(ハイドロポンプ/雷/雨乞い/怪しい光)
・ヤドキング@(///)
混乱している相手に3ターン連続で動かれてブラッキーがほぼ何もせずKO。しかしその後キノガッサが三タテ。三周目までは多く変えたほうが良いと思い、ブラッキーアウトのランターンイン。
第二戦
・ルージュラ@(身代わり/悪魔のキッス/メロメロ/夢喰い)
・ケンタロス@食べ残し(捨て身タックル/地震/火炎放射/冷凍ビーム)
・ヘルガー@白いハーブ(シャドーボール/オーバーヒート//)
ランターンが眠らされて危なかった。火炎放射でキノガッサが火傷になったのも痛すぎた。何だかんだウインディは頼りになる。ランターンは雨降ってないと安定技が無いので離脱。ルージュラは遅い(ランターンより)、ヘルガーは炎がウインディと被るので消去法でケンタロスを召喚。
第三戦
・ネイティオ@(ドリル嘴///)
・ブラッキー@光の粉(威張る/自己暗示/メロメロ/シャドボ)
ネイティオ、バシャーモに弱点を突いてケンタロスで二タテ。その後ブラッキーと再会。威張るを使ってきたので、同じ奴だと確信。ケンタロスも強いが、あいつにもう一度チャンスをということで両者チェンジ。ガッサンディはレジェンド。
第四戦
・メタグロス@カゴの実(影分身/コメットパンチ//)
ブラッキーがシャドーボール外しまくって地獄。ウインディもオバヒ外しまくって地獄。キノコも胞子も当たらず三タテ。結果論ケンタロスなら最初に地震で終了だったので、初手に積みポケで詰まないようアタッカーを置くべきだと理解した。
結果
17連勝でストップ
コピペ用
・@(///)
ド・深夜
僕は俗っぽいことを言うと虫唾が走るタイプで、最近の筆頭格は「コロナ」の三文字である。ウイルス及び病気についてどうこう言っているのではなく、ただなんか話題の言葉を口にするのがはばかられるのである。ただ、今回それはどうでも良い。
僕らの世代は、何かしらの損害を被っている。僕にとっては、対面授業の停止、行事の中止、その他イベントの中止とうとうとうとう。そんな状態が一年以上続き、いや、もう騒ぎが始まったときから分かってはいたことだけれど、
「やり場のないやるせなさ」
にHPを削りきられてしまった。
責めようがない、誰に、何を言うこともできない。不幸な事故でしかないんだ、頭の中で何度も何度も考えてきて、結局変わらぬ結論。それが続きすぎてしまった。
でそれでさらに気付く。
「こんなようなことって、元もと身近に存在するんだよな」
例えば、人間関係。誰しもが他人の気持ちを理解するというのは、客観的には不可能だ。いつだって主観でしかないし、特に自信があったときさえ往々にしてハズれるものでもある。誰だって隠したいことはあるし、それが理由で他人と軋轢を生むこともある。
僕も怖い。
僕の友人たちは、ほぼ必ず、一度「ウザいな」と思う瞬間が来るらしい。そこで嫌われるが、あと少しの時を経て再び友人となりえる。そしてそいつとは腐れ縁的に通じ合うことになる。そんなやつらには別に嫌われてもいい。
なぜならば、分かっていなくても好きになれるから。
また、全く見も知らぬ人は真逆で、これは大方が同意見だろうが、一生に一度の出会いみたいな人には嫌われたところでどうということもない。そういう人に対しても強く出ることができる。
問題は、その間。
何が問題かって考えると、原因として博愛主義的感情が関係しているのではないか。
僕は、嫌いになる人がそうそういない。ごくまれに嫌いになりそうな人に対しては五感をミュートしているし、ひとりすら挙げることが難しい。でもだから、調和を夢見る。
一般日本人とは異なるが、結局目指す先は同じになってしまった。ただ素直な感情である。
しかし、思考すればするほど、不穏が起きたところでどうでも良いと思えてくる。部外者にとっても、当事者にとってすら。その行きつく先が、今の僕の友人たちのような存在ではないのか。
結局、「好き」「嫌い」なんか感情論でしかない。
何も考えない方が、絶対に強い。
みんなから好かれるのはどう足掻いても不可能だ(なぜなら、みんなから好かれていることが嫌いになる理由になる人もいるから)。
受け容れなければならないというよりかは、もっと積極的に受け容れてやろうとすることができるのではないか。
いーや、それはあくまで僕だけのやり方に過ぎない。
二つのキャッチコピー
※僕はキャッチコピーの専門家ではない。文章表現の専門家でもない。
数か月前のことになるが、マイクロソフトのsurfaceのキャンペーンとしてDive to 沼というものがあった。その内容はどうでも良いので説明を省く。
本題はキャッチコピーである。キャンペーンの広告を、僕は電車の中で見つけた。動画としてもあるようだ。そしてキャッチコピーとして
「型にハマるな、沼にハマれ。」
と書かれていた。
型にハマるな。これは大した文章ではない。内容自体、言ってしまえば言い古されている。だから、じゃあどうすればいいのっていうアンサーがこの後にくる。
「沼にハマれ」
いや、定型の表現じゃねえか。お前の方が型にハマってるよと僕は即行でツッコんだ。それじゃ説得力のかけらもないよと。
さらに言えば、「型」と「沼」になんの関わりもない。要は韻を踏んでいるだけで、前半部分が全く生きていない。ゼロである。後半の「沼にハマれ」だけで言いたいことが完結している。それ、得意げにダジャレ言ってるオッサンと同じでは?
もう一つ。よく似たキャッチコピーを、我々、控え目に言っても日本人の半数以上は見たことがある。サッポロビール黒ラベルのキャッチコピー。
「丸くなるな、星になれ」
マイクロソフトさんは踏み台で、僕はこっちを推したいがためにこの文章を書いた。
見れば見るほど似ている。実際に両方を併記してみたら、なおさら。「~するな、じゃあどうする」構文。その前半も、既成概念に囚われるなという意味で一致している。パク…と言われてもしょうがないと思う。僕は平和主義者なので断言はしない。
当然サッポロビールは昔から、推定で2010年から使っている。妻夫木聡さんが大人のエレベーターに乗り始めたとき…小学生の僕はテレビを見ていなかったから本当は分からない。要するに逆ではないよと念のため。
ということで順番は逆だが、型沼がクリアできなかった壁を越えられているか検証しよう。
「星になれ」
うーん。僕に死ねとでも?松岡修造が「もっと星になれよ!」と言っても意味は通じないだろう。
丸、星はいずれも図形である。星は単純に図形的意味において尖っている。それを踏まえた上で、「星」にカタチだけじゃなく色をつけた、つまり輝く星を導入したである。見事に前半を活かしている。前半が無ければ…というのは先述の通りで、これで証明終了だろうか。
ダブルミーニング、それって結局ダジャレじゃねーかと思う人もいる。それは事実である。しかし、ダジャレ的要素を省いたとしても立派に文章的美しさ、キャッチコピーとして見る者を引き付ける力は残っている。むしろダジャレ要素は言ってしまえばどうでも良い。肝心なのは大事な要素があるかであり、だからそれを見失った型沼に難癖をつけたわけ。